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AV女優の自殺について

AV女優が若くして自殺をした、あるいは変死や病死をしたときには、ここぞとばかりにメディアは取り上げます。メディアが取り上げるのは、それが大衆にウケるからであり、大衆はつねにこのようなネタを求めています。大衆と言うものは普段は正義面し、そのようにふるまう自分に自己陶酔する人間もいますが、これは非常にタチが悪いものです。

大衆と言うものは、常に何らかの非日常性や異常性を求めて生きているものです。古代ではローマで奴隷に殺し合いをさせたことがそれにあたり、現代では格闘家が殴り合うことがそれに当たり、古今東西、大衆は常に非日常性を求めて生きてきました。このような非日常性の中に自己のうっ憤をぶちまけているのです。

AV女優が自殺をした時などは皆こぞって話題にします。心地よいからです。なぜ心地よいかと言えば、普段は権力に虐げられている存在である彼ら大衆が、AV女優を数少ない見下せる人間として認識しており、その卑しい女性が悲惨な最期を遂げたことによって、自分より不幸な人間を見出して満足感に浸るのです。いくら否定しようとも、AV女優が自殺したニュースが大きく取り上げられるという現実がそのことの証拠です。

この大衆の異常性というものが、風俗業界をダメにしています。たとえばAV女優が自殺したことを知った大衆は、そのAv女優が性搾取の末に自殺を遂げたかのように思い、そうだと信じてやみません。実際には全くそのようなことではないにもかかわらず、そのように思いこむ人があまりにも多いため、それが大衆の総意となり常識・一般通念となります。大衆の誤った認識が社会一般の通念になるのですからこれほど厄介なことはないでしょう。

 

AV女優が自殺に踏み切る理由というのは、決して性搾取から逃れるためのものではありません。そこには2つの理由があります。

ひとつめは、AV業界の不況です。AV業界はどんどん不景気になっており、女優の出演料も減っていき、コスト削減を強いられ、出番を失う女優も増えていきました。かつては脱げば稼げる時代であり、多くを失い崖っぷちに立たされた女性のセーフティネットとして機能していたAV業界が、その昨日を失ったのです。

脱いでも稼げない現実はAV女優たちをひどく苦しめました。稼げないということは必要とされていないから稼げないのであり、これまで多くに失敗してきた女性が、脱ぐことによって初めて他人から認められたり必要とされたりして成功体験を味わったならば、再び必要とされなくなる現実は非常に悩ましいものです。

自分の存在意義を確認できる場であり、最後の救いであったAV業界が廃れていき、また必要とされなかった頃の惨めな自分に戻るかもしれない、どうしよう、と言う悩みを抱くうちに、その悩みの無限のループの中のふとしたタイミングで「死んでしまおう」と思うのです。

ふたつめは、AV業界に身を置いて非日常性にどっぷりとつかり、そのまま数年を過ごした女性に取って、徐々に必要とされなくなり一般社会に戻ることを考えた時にそこに大きな恐怖を抱くのです。非日常性に慣れ切ってしまった女性は、一般社会に戻って刺激のない毎日を過ごすことが想像できず、そのような世界に戻るくらいならば死んでしまおう、と思うに至る人もいるのです。

 

近年のうち死を遂げたAV女優を挙げていくならば、2004年8月に倉沢七海が飛び降り自殺、2005年6月に林由美香が変死、2007年7月に美咲沙耶が首つり自殺、2008年12月には飯島愛が遺体で発見、2010年10月はAYAが飛び降り自殺、2011年1月には若瀬千夏が過労死しています。過労死、変死などの死を除き、何人かのAV女優が自ら命を断っています。その背景には、性搾取されて絶望したのではなく、AV業界の将来性に絶望したこと、あるいは一般社会に戻ることに恐怖したという理由があります。

大衆はこれを面白がりますが、あまりにもひどい話ではないでしょうか。普段は自殺を否定してやまない大衆が、ひとたび自分たちが蔑視している世界の人間が自殺するとそれをネタにするのです。大衆の思想は常に矛盾や欺瞞に満ちていると言えます。

確かに、大衆に自殺を真に理解しろというのは無理でしょう。自殺に踏み切ることは非常に勇気のいることであり、大衆の多くにはそのような勇気はないでしょう。私も経験済みだから言えることですが、首を吊る輪を目の前にし、一歩踏み出すのに30分くらいかかる、死ぬというのはそれくらい恐ろしいものなのです。私は幸いにも一名を取りとめたから生きているにすぎませんが、実際に体験をしたこともない人間が自殺を肯定することも否定することも許されないのです。命を捨てるという一大決心をしている人間に水を差すようなことをする権利はないし、決心の末に自殺を遂げた人間をネタにする権利はなおさらないでしょう。

また、「自殺はいけない、いいことは必ずある」あるいは「自殺するくらいなら生きろ、死ぬ覚悟があれば何でもできる」などという主張も無責任極まりないものです。今自殺の決心をしようとしている者にとっては自殺こそが最良の選択だと判断したうえで、恐怖を乗り越えて命を断とうとしているのです。いいことが必ずある保証はなく、むしろ悪くなっていく可能性さえある現実、そして明日生きるよりもはるかに怖い死に直面した今を生きている自殺願望者たちにたいして、軽々しい声をかけるのはお門違いと言うものでしょう。

このように、死に直面して死の一線を越えた彼女たちを止める権利も、ネタにする権利も大衆には一切ありません。自分で命を断つと決断し、死に赴いた彼女たちを、そうっとしておいてあげてはくれませんか。また、これから自殺に踏み切るAV女優が現れた時にも、普段は自殺はいけないというのが大衆の一般通念である以上は、それをネタにしあざけることはおおいなる自己否定にすぎないということをきちんと認識し、えらそうな態度は取らないことです。